2018年4月1日日曜日

FARM8 3周年 ありがとうございます。


2015年4月1日から始まり、おかげさまで本日FARM8は3周年を迎えることができました。

多くの方に助けられ、育てられ、励まされ、支えられて少しずつ成長することができました。

本当にありがとうございます。




2015年4月1日から始まり、おかげさまで本日FARM8は3周年を迎えることができました。

多くの方に助けられ、育てられ、励まされ、支えられて少しずつ成長することができました。

本当にありがとうございます。

「土地は先祖からの授かりものではなく、子供たちからの預かりものである」
この言葉を胸に、土のある暮らしの価値を高めていければと、3年前に設立しました。



社名の「FARM」は「土」、「8」は「循環」を表します。

ずっと土のある暮らしが続くことを目指して、食分野での事業を展開しています。



右も左もわからない状態で会社を立ち上げ、食の仕組み改革と新しいライフスタイルの創造をテーマに事業を進めてきましたが、毎日わからないことだらけで何度も壁にぶつかり、多くの方に助けていただき、学ばせていただきました。

「おかげさまで」の言葉が身にしみます。

いろんなシーンで支えていただいた皆さま、本当にありがとうございました。

まだまだヒヨコな会社ですが、社会と共に育っていく会社でありたいと思っています。

これからもFARM8は「地域を食べる」をリデザインし、ずっと繋がる地域の力になります。

4年目以降も、どうぞよろしくお願いします。

株式会社FARM8
代表取締役 樺沢 敦

https://farm8.jp/



2016年10月24日月曜日

ゼロからイチのギア ~今日どう?通信~

10月23日で中越地震から12年が経ちました。
その年に生まれた赤ちゃんがもう小学6年生になるわけですから、時がたつのは早いものです。
今年も全国でたくさんの災害がありましたが、多くの方の「なんとかしたい」というモチベーションが、いろんな協働を生みました。

感謝が溢れる良い復興に、地元民としてとても心強く思った記憶があります。

先日、ある社長が訪ねてきてくれ、私にこう問いかけました。

「君は長岡とはどういう町だと思う?」
「私はね、長岡は城下町だと思うよ」
「だってみんなこの町を誇りに思ってると感じないかい?」

と。

確かにそうです。
長岡の人は、多かれ少なかれ長岡に愛と誇りを持っているように感じます。

そして続けて最後に私にこう聞きました。

「君はなんのために働いてるのかい」

目的をもった多様な主体が集まり、互いに助け合い目的に近づけるのが協働です。
「なんのために」は、もちろん協働するためにではなく、目的のために協働するのです。
その「なんのために」が明確になる場面というのが、災害などの普段のあたりまえの暮らしができなくなるという共通な困難があるときです。
わかりやすく目的を共有し、それぞれができることを探すので、地域の協働力はとても向上します。

14632879_1222449677836498_9163660592277127266_n
▲SONG OF THE EARTH 2016(引用:SONG OF THE EARTH Facebookページ

ただ、当たり前の世の中が戻ってくるとどうでしょう?
大切な地域を思うきっかけから協働が生まれましたが、今の協働のモチベーションはどこにあるでしょうか?

ここから持論ですが、協働が進むと副産物として相互依存があらわれます。
良いとか悪いとかではなく、助け合いの社会なので当然生まれて然るべしであり、コミュニテイ単位での相互依存は必要な要素です。

ただそれが、自分がやらねばというモチベーションを打ち消す作用もあるのかなと思います。

マイナスからゼロにする力と、ゼロからイチを生み出す力。
地域が活力を増すにはそのどちらの力も必要です。

協働によって生まれる良い部分と、依存してある種「茹でガエル」になってしまっている部分。
今の長岡はどちらもが共存しているように思います。

おそらく、マイナスからゼロに比べて、ゼロからイチのギアはそう簡単には入りません。
震災はマイナスからゼロのギアを入れただけで、プラスのギアは自分たちの心で入れる必要があるからです。

当たり前が当たり前じゃない経験をしている地域だからこそ、当たり前の次のステージを創造していくギアを自ら入れていきたいと感じました。

「バットを振り続けることで見えてくる世界がある」

さっきの社長が私にくれた言葉です。
とりあえずがむしゃらに前を見てバットを振り続けてみます。

樺沢 敦

2016年7月30日土曜日

30年を超えてつながった地蔵さまとばあちゃんの折り鶴の話。

先日、30年前のばあちゃんの折り鶴を見つけた。 最近、摂田屋醤油の越のむらさきで社長や常務と、この辺、盛り上げたいねってお話をする機会がちょこちょこある。



先日も話している雑談の中で、越のむらさきの玄関横にある地蔵の話になった。「こしのじぞう」というシンボルにもなったお地蔵さんだ。 私も地元が近くて、よくこの辺で遊んでました~なんて話してて、 「いやー、実はその地蔵には私も思い入れがあって」という話を切り出した。



というのも、12年前に亡くなったうちのばあちゃんと一緒に、私も子どもの頃よくここにきてお参りをしていた。 当時ばあちゃんは信心深かったのか、とにかくいつも折り鶴を折っていて、部屋の中や病院のお見舞いやお参りの時などに飾ったりしていた。特別な紙じゃなく、いつもチラシを切ったり孫の折り紙の余りを切ったりして、暇さえあればお茶飲みながら鶴を折っていた。 その数ったらもう千羽鶴どころじゃなくて、私の記憶の中だけでも知り合いのお見舞いに1回で7千羽鶴をもっていったのを覚えてる。 それで、いつも病院近くのこの地蔵さんところにも「おすそ分け」って言って千羽鶴をかけていっていた。 私も子どもながらに付き添っていた記憶がある。 そんな話をしてたら、越のむらさきの常務が、「いや、その鶴あるよ」というわけだ。 20年以上勤めてる社員の方も呼んでお話を聞くと、確かにその方が入社前からこの地蔵さんに鶴が祭ってあって、代々、これは捨ててはいけないと教わっていたんだとか。 まさかと思って地蔵の鶴を見せてもらうと、確かに奥の方に考えられない古さの折り鶴があった。



手前には新しい鶴もあるのを見ると、最近も引き継いでやってくださっている方もいるようだけど、奥の古い鶴は誰が持ってきたか社員の方もわからず、いつの間にか地蔵が鶴まみれになっていたというのだ。 よく見ると、チラシの切れ端だったりきれいな折り紙だったり。 日に焼けて色はセピアを通り越しているけど、ちゃんとした鶴だ。 なんとも感慨深い。 ばあちゃんがここに生きている。 なにせ鶴折るのが好きなばあちゃん。 どういう因果関係かは不明だけど、ばあちゃんの本名は樺沢ツル。 今になっていろいろと思い出してきた。 お盆には、ここにも墓(お地蔵)参りにこようかと思う。 株式会社FARM8 代表取締役 樺沢 敦