2015年11月15日日曜日

香港体験記

この3日間、出張で初の香港に行ったのでちょっと香港レポート。



昨日までの仕事は仕事で充実したんだけど、最終日はフラフラと歩き回って香港市街見てきた。30℃近い暑さの中、ゴロゴロ荷物引きながらおそらく20kmは歩いた珍道中。

いろいろ見て歩いて感じたこと綴っときます。

まず歩き回って衝撃的に目につくのはやっぱり建築の竹。

まあこういうことなんだけど、大丈夫なのかな?って。

 もうやばいのはこれとか。
高層ビルよ? 

見えづらいので寄りで。

もっと寄るとこれ。

死んじゃうでしょ、これ。
おそらく地上30階くらいよ?

これなんかもう。。
ぜんぶ竹。


応急処置用とかではなくて、基本竹で足場を作るのが基本になってるみたい。

こんな建築の文化なんだろうけど、まだまだでっかい工事中ばかりだったので、これからも高層ビルが立ち並ぶ流通と消費の町になるでしょう。 


さてさて、町中はというと。

昨日までの仕事の会場と泊まったホテルが九龍付近だったから気づかなかったけど、香港島に渡ると観光地であるということがよくわかる。



九龍からちょっと外れた尖沙咀ってところにいたんだけど、ここは完全にTHEアジア。
古い建物だらけの町に人がごった返してて、みんな歩きタバコしてて地面ゴミだらけで。みんなでかい声でしゃべってて化粧臭い。
そんなイメージから、香港島に行ったら一転リゾート地。

確かに九龍から見た香港島の夜景は素晴らしかったから、その光のもとになってる場所なわけだしね。

光と影というか、高層ビル群のブランド消費三昧の地域と、ちょっと外れるだけで古い建物に人がごった返す様子は、スラブのようでイメージ通りのアジアのような両面が見える不思議な感覚でした。



インバウンドの要素もよく見えた。
往年の夫婦が最高の景色と優雅なホテルで過ごして買い物もできると。


観光客もツアーは少なく、カップル(夫婦)が多かった。欧米人は香港島に集中してたかな。特にピークトラムの山からの景色見れるあたりとか白人夫婦だらけ。

きれいな公園もあって、写真撮ったりゆっくり過ごす外国人が多かった。


偶然結婚式にも出くわしたし。

公園の池には錦鯉がたくさん。

山古志産かな?小千谷産かな?とか思ってしまう職業病。


ちょっと繁華街に出てスーパーも幾つか回ってみると、なかなかな品揃え。


香港は流通の町なので、農業などの生産は盛んじゃなく、外国の野菜が並ぶ。



オーストラリア、日本、アメリカ、ドイツが多い感じ。

もちろん日本の食材も多く、ナスやサツマイモやキノコ類が多かった印象。


もちろん日本の米や酒なんかも人気です。

豆類(豆腐や納豆や油揚げ)なんかも広くコーナー取られていたのは意外。
豆乳なんかもいろんな種類が売ってました。

日本から出店するお店もまずまずの人気。

チェーン店でいうと一風堂やココイチ、ワタミ、吉野家、世界の山ちゃんなんかがありました。


食料でいうと、町中で一番売れてるのが「水」だから、地物の安心感は低いってのもあるんでしょう。水も飲めない地域で作った農産物って。。という感じ。

ましてや中国なんかにもそういうイメージだから、世界から輸入する文化があるし、圧倒的に日本に対する安心イメージが強い。

昨日の商談会でも感じたことだけど、日本人がビジネスとして入ってる人が多かった。
今回出会ったインポーターの人とかも同世代の日本人多かったし、両面見れる視点でのビジネスチャンスはゴロゴロあると思います。

とまあ、なかなか面白い香港探索となりました。


まとめてみると、バブル期の日本のような感じで消費が中心の町なんだけど、当時の日本とは情報の量が違っていてみんなiPhone使いこなしてる。

昔の日本は個人の発信方法が少なくて自己表現をモノでしていた時に高度経済が来たから消費大国になったけど、これだけ個人発信できる環境で経済成長した時に、日本と同じ消費大国になるのかは疑問。
今はブランドもんとかすごいお店の数だけど、人混みやばいし水もまともに飲めないからこそオーガニックや自然への憧れみたいなのもあるので結構二極化している感じ。

経済成長のタイムラグはあるとしても、モノ消費経済からライフスタイル思考に変わっているのは世界共通なのかと感じました。

また、インバウンドの観点でも感じたこと。
今回初香港にもかかわらず何人かの知り合いができ、「また香港来たら連絡ちょうだい」という言葉をもらい、私も「日本に来たら案内するよ」と返す。

普段インバウンドの話題はプロモーションとかインフラ整備とかが中心で、もちろん大事なんだけど本質はこういう人のつながりの積み重ねな気がしてきました。

安心できるところに人あり。
移住も一緒ですね。

もう少し言葉を勉強してから、また香港に来てみたいと思います。


今度はもう少し観光チックに(笑)


樺沢 敦

2015年11月9日月曜日

モノ世代のリーダーとライフスタイル時代を歩くには

昨日行われた長岡市長選挙を終えて、ふと3年以上前に読んだ神田正則さんの本の中の70年周期説の話を思い出しました。

当時、結構衝撃だったのを覚えています。

社会は、70年の周期で回っている。
というより、4世代の価値観の変動でつながっているというものでした。

例えば、今から70年前は1945年で、第二次世界大戦の終戦。
そこからは第1フェーズで「戦後復興」の名のもとにモノ作りが広がり、第2フェーズでそういったものが一般家庭に広がるための流通の仕組みが作られ、第3フェーズでは、それらの商品価値を研ぎ澄ませ差別化するためのブランディングが広がり、第4フェーズはそれらが持つ社会的歪みを見つけて壊していく社会。

さらに昔を言えば、1875年の明治維新や、江戸後期の1800年代初頭は外国船の来航ラッシュによる混乱期、などなど、古くはいろいろきっとあるのだと思います。

別に歴史の勉強をしたいわけではないので深堀しないのですが、これってそれぞれの周期ごとに価値観の変革が起きているんではないかって言われていて、わかりやすいかどうかわからないけどガンダムでいうと、アムロが正しいと思われていた社会からシャアが正しかったですとなったり。

つまり「社会にとって大切なもの」が移り変わっていくきっかけとなるのがこのタイミングなんじゃないかと思うわけです。

では、新しい70年では何が大切な時代かという答えはないかと思いますが、なんとなく変化は感じ取れます。

最近、私個人的にですが物欲がだいぶなくなってきています。

ものが必要なくなったわけではないですが、これ以上必要ではないインフラが整ったという感じです。さらにいうと、モノを持つステータス感なんかも、20代のころに比べて恐ろしいほど喪失しています。特にクルマとか時計とか。

政治的なことはおいといて、個人の価値観がどこに向かっているのか。
今、物的資源が最も大切かといえばそうは言えませんし、世界の中の日本を守り抜くんだ!っていう気持でもありません。(これも個人的に)

個々の人生が豊かになるには、今自分に何ができるのか。
そういった感情が芽生えつつあるようにも感じます。

これを言葉に落とすと、「他社(多様性)への役割」、または新しい意味での「ライフスタイル」というキーワードかなぁと感じています。

近頃、ライフスタイルっていうキーワード、やたらと聞きませんか?
ライフスタイル=生きる形
「生きる」ということは生まれてから死ぬまでのこと。
その中で、どのような選択をして生きていけるか。

情報化社会が明らかにしたのは、最新のモノの情報でなく、多様な人生を見える化したようにも思います。

今を楽しんでいる情報、環境に苦しんでいる情報、将来を悲観する情報、生き様の情報。
多様な生き方を知ることにより、自分ができることを選択していくこと。

ボランティア活動の活発化や、NPOの多様性など、様々な活動の選択肢が広がっているのも、そういう存在を知り、自分の生き方としてどういう選択をすることができるのかを考える機会があるということ。


「何が自分の幸せで、何をして喜ぶのか。わからないまま終わる、そんなのは嫌だ」
という価値観。(やなせたかしさんの歌詞をお借りしました)

それを大切にしていく時代に突入しているなぁと感じます。


少し経済的な話になりますが、世の中を形成している職業で、製造業・卸売業・小売業など、モノづくりと流通を支えてきた産業があります。

さらに言えば、モノの価値を高めるためのブランディングに関する業態やコンサルタント業も必要な世の中になっていました。

これらは、戦後の経済産業を支えてきた日本の柱です。それは間違いありません。
ですが、冒頭の70年周期説の話題であったっ通り、戦後からの4フェーズのうち、「モノづくり」「流通」「付加価値」のフェーズに当てはまる産業であって、どれもモノの基軸からは抜け出せていないようにも感じます。

「モノ」ではなく基軸が「ライフスタイル」になったとき、世の中はどのように変わっていくべきなのか。
また、流通の手段としてあった貨幣経済が、どこまで個々の人生に影響力のあるものになりえるのでしょうか。

そんなことを考えると、価値観の変革を的確にとらえたリーダーが必要だなと感じるわけです。



ここからは批判ではなく期待を込めてというところですが。。

昨日、私が住む新潟県長岡市の市長選挙が行われ、現職の市長(66)が5期目の当選となりました。

その方の人生で一番価値観を形成してきたのが仮に20~30代だったとしたら、ちょうど1970年~1990年ころ。
フェーズとしてはモノが行き渡る流通から、モノの価値争いへの変化の時代。もちろんバブルも経験しています。

あくまで「モノ」基準で世の中がめぐっていた真っ只中にいた方にとって、このライフスタイルへの時代の変革はマインドセットが難しいものかなと思います。
もう一つ言うと、30年後のビジョンって言ってもリアリティを持つ方が大変です。

大変だから出来ないだろうではなく、期待を込めて価値観を共有できる方法を考えたいというものです。


社会は仕組みからできているのではなくて、価値観の上に仕組みが出来上がるものと思っています。

世の中の価値観は日々着々と変化を続けるアナログ的な曲線だとして、仕組みや組織は一度作ると次に作り変えるのに時間とエネルギーがかかるデジタル的な直線。曲線に合わせて描いたつもりの直線も、日々動く曲線とのギャップが出たら、縦線も入れて階段状についていくべきもの。

難しいところだと思いますがこのバランスとタイミングを逃すと、価値観を無視した仕組みは崩壊し、強引に横に直線をできるだけ伸ばして仕組みを変えようとしない既得権益だけが空しく無駄に残るでしょう。

目を向ける先を間違えると、、、ってことですね。

当然、行政の役割からすれば生活インフラ整備なので、目の前の困ったをモノで解決する必要もあるでしょうし、地域を守っていくために必要な支援も多くあるでしょう。

では長期の戦略として成長を見据えた計画を立てる際に、何をもって「成長」と捉えるのでしょうか。モノの豊かさ?多様なライフスタイル?まちの幸福感?

答えは誰にもわかりませんし、ベテランの市長だからどうだとか、若い市長だからどうだとかいう、単純な判断基準はナンセンスだと思いますが、時代を見据えて次の社会の価値観を常にキャッチしていてほしいと切に願います。


特に「若者」を中心に、と掲げている政策が、属性だけ区切った一種のパフォーマンスではなく、新しい時代の価値観へのアンテナをともに探ろうというメッセージであることを期待しています。

といろいろ書きましたが、優秀なリーダーが再度選出されて期待している部分の方が多いのですが、最近の時代の変化が著しいので、気になる点を少し書かせていただきました。

私も一市民として共に歩んでいきたいと思います。


樺沢 敦