2013年7月21日日曜日

日常選挙(おサイフ投票権)

明日はいよいよ参議院選挙ですね。

次は2016年となると考えると、とても重要な選挙。

細かいことをいって偏ると悪いので、まずはひとりひとりが投票しよう。


ブログはまた何カ月ぶり?ですが、
大切な時期なのでちょっと綴ってみます。


私、根っからの性善説派なので、こう、悪い政党があるとか、ぐへへって言っている人がいるとかって、あまり続いて行かないもんだと思ってます。

だから、みんな正義を掲げています。
それは真実なんだと思いますよ。

でも、そのゴール地点がちがうだけ。

いろんな人が言ってますが、正義ってのは人それぞれであったり、環境や立場によって全然違うものになるんですよね。
でも正気ってのは大事だと思います。

犯しちゃいけない人間性というか、「正気で行こうよ」っていう感じです。


あと、「誰に託したいか」っていう意味での投票じゃなくて、「誰と一緒に歩いていきたいか」ていう投票の方が、正しい気がしますね。

選挙に出てる人だけが動く人で、私たちは動く人を選ぶ人?ってのはちょっとおかしい。
一緒に同じ方向にあるいてくれる人は誰かなぁという意味で投票したいものです。


さて、今日書きたかったのはこういうことではなく、(みんな選挙に行こうということはもちろん書きたかった事だけど)投票した後のお話。

今回の投票が終わると、またずっと選挙がないですよね。

じゃあ、その間は選ばれた人たちが頑張って動いてるのを、また応援したり評価したり、そんな感じでしょうか?

いえいえ、社会は政治だけでは動いていません。

むしろ政治以外の部分で動いている事の方が大きいです。

それは何か。

社会は、人の選択の積み重ねによって動いていると思っています。


選挙だけが選択の時じゃないですよね?(いや重要な選択の時だけど)

そう、日々おこなっている消費も、社会を大きく動かしています。


「消費が社会を変える」って、結構本気で思っています。

買い物を、ただ「消費」と捉えるとわかりづらいですが、これも「投票」だと捉えてみるとどうでしょう。(応援でも可)

自分が大切にしたいものを共有できる商品に投票する。
これがすなわち社会を変える消費です。と思います。

少し昔の消費と言えば、自分にとってどう価値があるのか?とか、今これが自分に必要か、とか、欲求とか、そんな感じで買っていました。

例えば、顔の見える野菜を買う、みたいな事はあると思います。
それは安心安全な野菜を食べたいから。
その一歩先に、この人は、この土地でずっと食べものが採れるように土と種を大切にしている、という農家さんに、「自分の子どもの代まで新鮮な野菜が食べられますように」という投票をします。こういう消費も悪くないかなぁと思っています。

もうある程度モノができあがった現在、将来に向けた選択をして、消費(投票)をしていくことが必要かなと思っています。

まぁ、我が家も完全に当てはまりますが、そうは言っても、きれい事だけで消費していけないという事情は十分にあります。

だから、毎日しなくていい。

だけど、頭の中には置いとくべき。

ということで、月に一度や週に一度、「消費投票をする日」を、各家庭で設けてみてもいいのかなと。

子「わくわく、もうすぐ消費投票日だね」
親「そうだな、今度はどんな思いで商品を作ってる人に投票しようか」
子「こないだテレビで、農薬でいっぱい人が死んじゃってるっていう綿の畑があるっての見たよ」
親「そうか、じゃあ家族みんなで使えるようにプレオーガニックコットンのおっきいタオルを買おうか」
子「それを買うとどうなるの?」
親「これはね。以下説明省略」

こんな会話が生まれてくる社会って、素敵じゃないですか?

みんなが社会の事を考えるには、わざわざ参議院や衆議院の選挙を待つ必要もなく、各家庭での意識でできることかなと思うのです。

それには、当然いろいろな事実を知る必要もあるだろうし、関心を高めていく必要もあると思いますが、それは、「常に」なんです。

「消費が変われば社会が変わる」

今は、ちょっとだけ「経済」というものが膨れ上がり過ぎて盲目になっているだけで、本当に大切にしたいものを考えた時、ひとりひとりの選択から、世の中に変化をもたらす事も出来るんです。

こんなことを書くと、いつでも選択できるなら、選挙は、、という風になるかもしれませんが、決してそれは違います。

政党や政策がわからないから、今回はやめておこうかなと思って選挙にいかない人。
自分の選択を放棄する事ですから、今後も放棄し続けてダメな社会をつくる要因の一つになります。
ひとりひとりが選択をしないと、人間弱いもので、目の前の利点だけで社会がつくられてしまいます。
そんな社会が継続して素敵な人生を送れる社会とは思えませんので、わからないなりでもいいので選択するという行動を示してみてください。

そしてまた、レジにて投票しましょう☆
財布の中に、投票権は入っていますから(^^)


2013年4月19日金曜日

いろんな活動を通じて目指すべき姿

お久しぶりです。
なんと、気がつけば1年ぶりのブログ更新!

存在すら忘れていたくらいだけど、
ちょっと想う事があったので書き留めたいと思う。

最近、会社でも子育て支援事業をまかせてもらっていながら、
いろいろな市民活動を実施できていて、
死にそうながらも、いわゆる充実した日々を送っている。


そもそも、それって何のためにやってんの?とか、
金になる活動なの?とか、いろいろ言われることもありますが、
いちいち答えてるのも面倒なので、ちょっと書きます。


私、実は我欲の強い人間でして。。
我欲がすべてを支配していました、はい。

俺ってこういう男で、こうあるべきで、こう見られていたい。
それから外れるのはNGでしょ?
ちょっと良いポジションにいたいな、とか。
そんな若者だったし、そんな人生を送っていた。

それはそれで楽しかったし、否定するつもりもない。
その時代の自分も、私を形成するひとつの財産です。

生活を変えるとか、環境が変わるとか、職場が変わるとか、
そんな変化では、私の考えの柱を一つも変えなかった。

考え方や自分の型って、意外と変わらないなぁと
つくづく感じます。
でも、今はだいぶ変わった考え方になり、
これがいいのか悪いのかわかりませんが、自分なりに納得いく自分になってきています。

ここで
私の考えを変化した出来事、ベスト3を発表しようと思います。

1位 子どもを授かった事(2009年)
2位 マラソン大会途中で意識不明で救急車、一時的な記憶障害(2010年)
3位 東日本大震災(2011年)

この3つですね。
あとは、いっぱいあり過ぎてかけないけど、
いろんな人との出会いが、かなり自分を変えてくれましたが、
人との出会いも、そもそも考えが変わってなければ変わらなかったでしょうね。

子どもを授かった衝撃はすごかったですね。
これまで今日明日のことしか考えていなかったのに、
子どもの将来のこと、
子どもがまた親になる時のこと
守るべきもの。
一気にいろんなことを考えるようになり、
もちろん育児が始まった事もあるけど、すぐにいろいろ環境を変えた。
ここで、
「俺はこうあるべきだ」
から
「子どもの周りの環境は20年後にこんななっていてほしいなぁ」
みたいな感覚にかわって、少し自我が薄れたような気がします。


次に、意識不明になった時。
結局全然大した事なくて、大げさに騒ぎすぎたと笑い話になっていますが、
このときは、記憶もあいまいになったし、このままだと「死」!?みたいな感じで、
初めてのことに一晩でいろいろな事を考えた。

正直、私は死なないだろうと思っていたし、
(死ぬほどの話では全然なかったけど。。。)
死ぬとしたら、何ができてなくて、家族に何を伝えきれてないだろうとか、
いろいろと思い巡らせて、即行動の大切さをしったというか、そんな出来事だった。


最後の震災は、もうすごく衝撃的で、
今も苦しんでいる方々を想うと、軽々しくかけないのですが、
これまで自分の中にあった「型」って、
とても勝手につけていた「型」だなぁと感じたというか、
こうでなくちゃいけない、こうあるべきだみたいな価値観って、
とらわれすぎていても、あっという間に覆ってしまって
そんな価値観の中で、誰が悪いとか責任の所在はとかっていってることが
どの価値観で今そんな事が言えるんだろうとか、
ちょっと「型」というものを客観的に見るようになった。

家族との時間も大切にするようになったし、
他の自分が大切にする事もはっきりと見えてきた。


こんな感じで、自分自身の考え方が変わってきて、
今は暴走に近い走り方ながらも、とても充実してきている。

現在、「おこさまランチ革命」という取り組みを本格スタートしたばかり。
この取り組みは、いろんな人にきっかけとか、展望とか聞かれるけど、
そんなに大それた野望があるわけでも何でもない。

もちろん、子どもの健康や食の安全、医療費の問題や
農産物の問題などあるけど、素直に思うのはもっとシンプル。

私が親になった時に考え方が変わったのと同様に、
子どもが親になるときも、子どもは考え方が変わるだろうなぁと
ぼんやりと思ってる。

だから、子どもが親になる30年後くらいに、どんな環境が作れてるのかって。

その環境のキーワードは「豊か」

どんな状態かっていうと、
この地で生まれた事を誇りに思える環境で、
雪国であるがゆえに、
助け合い、譲り合い、触れ合いながら生きていくことを自然と身に付け、
「おかげさま」で生きているということを深く認識し、
食に対しても、人に対しても、感謝の気持ちを持てる豊かさ。

こんな文化を持つ人たちがいる町で
私の30年後でもいいので親になり、同じ心境の変化を感じ、
このまちで子を育てる幸せやさらに30年後を考える豊かさを
同じように持ってほしいなと言うのが、

私のわがまま。

この町がすきだから、30年後のこのまちも好きでいたいし、同じ気持ちを共有したい。


スキな町に、テを加えてステキな町に。

そんな思いで、いろいろ取り組んでいます。
これからも暴走野郎ですがよろしくお願いします。

2012年4月21日土曜日

感動を提供すること!

こんにちは、コマスマーケティングの樺沢です。今回のテーマは、ズバリ『感動』です。
お客様との関係づくりなどの観点から、顧客満足が重要だということは、既に多くの企業の取り組みなどからビジネスの基本として浸透していますね。ですが昨今、顧客満足から顧客感動という考え方にシフトしていることは、皆さまお気づきでしょうか?
「顧客満足」=お客様の期待、または満足条件に十分に応えること
「顧客感動」=お客様の期待以上の価値を提供し、予想していなかった価値を提供する事

 これは、多くの企業が、顧客に対する意識を変えたことにより、顧客にとって、取引をする時に満足条件が満たされることが当然のようになったことが背景として考えられます。

 現在のような社会になると、満足度が高いだけでは特別と感じず、お客様は人に伝えたりしなくなります。(敢えて聞かれたら「まぁ良かったよ」と答える程度でしょうか)ところが、感動するようなサービスを受けた場合には、共感を求めて人に伝えたくなり、口コミという形で広がっていきます。今、ソーシャルメディアやTV新聞などのメディアでも、感動エピソードやほっこりするストーリーが飛び交っていますね。これが感動の持つパワーともいえます。

 私の好きな話で「ビジネスは初恋の人にお弁当を作るようなものだ」というお話があります。
好きな人に初めてお弁当を作る時、「すごい!おいしい!これ自分で作ったの?朝何時起き?」と言ってほしくて、昨晩から準備して、盛り合わせに工夫してみたり、ウインナーをいろんな形にしてみたり、相手に喜んでもらえるように必死になりますよね。
 ですが時が経つと、昨日の残りものですませたり、冷凍食品をそのままなんていうお弁当になりがちです。これはこれで相手の満足条件を満たしているので問題ないのですが、たまに期待値を超えるお弁当で相手が感動するような工夫をすると、お互い良い関係を継続しますよね。

 ビジネスでも同じです。「満足条件を満たす」だけではなく、相手が更に喜んでくれるには?と常に意識してお客様への価値提供をしていただければ、必ず良い結果につながります。
「今、自分がお客様へ価値提供している時の気持ちは、初恋の気持ちに近いのか」なんて考え方で、ご自身の商品やお客様へのサービス、または接し方を見直してみてください。
世の中の会社が、みんなそんな考えで価値提供できたら、たくさんの感動が生まれるよい社会になりますね。ハートがあふれるビジネス社会。そんな社会をみんなで目指しましょう!